最高裁判所第三小法廷 昭和40年(し)79号 決定 1966年10月19日
主文
本件抗告を棄却する。
理由
弁護人前堀政幸、同青木英五郎、同佐々木哲蔵の抗告趣意のち、判例違反をいう点について。
論旨は、原決定が、「原裁判所は、上訴提起後であっても、訴訟記録が存在する限り、被告人を勾留することができる。」旨判示したのが、所論引用の昭和三九年二月一五日大阪高等裁判所判例(刑集一七巻一号一五二頁)に相反するというのである。
よって案ずるに、右大阪高等裁判所の決定は、「原裁判所は、上訴提起後は、被告人を勾留することができない。」旨判示しているから、原決定は、右大阪高等裁判所の判例と相反する判断をしたこととなり、刑訴法四〇五条三号後段に規定する最高裁判所の判例がない場合に控訴裁判所である高等裁判所の判例と相反する判断をしたことになるといわなければならない。
思うに、刑訴法六〇条によると、裁判所は、被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合で、被告人が定まった住居を有しないなど一定の事由があるときは、被告人を勾留することができることになっており、その時期については、なんらの制限もないのであるから、たとい上訴提起後であっても、右の要件があり、かつ勾留の必要がある場合には、被告人を勾留することができるものといわなければならない。ただ問題は、上訴提起後、訴訟記録がまだ上訴裁判所に到達していない場合に、被告人を勾留するのは、上訴裁判所か、それとも原裁判所かということであるが、この点については、刑訴法上明文の規定は存在しない。そこで、もしこれを上訴裁判所でなければならないとすると、上訴裁判所としては、訴訟記録が到達するまでは勾留の要件や必要性の存否を知る方法がないため、勾留の手続をすることが事実上不可能で、いかに勾留の必要がある場合であっても勾留をすることができない事態を生ずることになる。このような事態の生ずることは、勾留が本来急速を要するものであることからみても、きわめて不合理で、とうてい法の予期するところではないというべきである。とすると、上訴提起後であっても、訴訟記録がまだ上訴裁判所に到達しない間は、原裁判所が勾留の権限を有すると解するのが相当であり、このように解するのが法の趣旨に合致するものであることは、刑訴法九七条二、三項および刑訴規則九二条二、三項が、上訴中の事件で訴訟記録が上訴裁判所に到達していないものについて、勾留の期間を更新し、勾留を取り消し、保釈もしくは勾留の執行停止をし、これを取り消し、または勾留理由の開示をするのは、原裁判所であると定めていることからもうかがうことができる。もっとも、逆に、右各条項に勾留の規定がないことを根拠にして、原裁判所は勾留をすることができないとする解釈も考えられないではない。しかし、右各条項に勾留の規定がないのは、勾留の必要がある事件については、判決前に勾留がなされているのが通例で、判決後に新たに勾留がなされる場合はまれであることから、すでに勾留がなされていることを前提にした事項だけを規定したものと解することができるのであって、あえて原裁判所がみずから勾留をすることを否定しているとまでは解されない。以上のとおりであって、原裁判所は、上訴提起後であっても、訴訟記録がまだ上訴裁判所に到達しない間は、被告人を勾留することができるものといわなければならない。
そこで、右大阪高等裁判所の判例を変更して、原決定を維持することとする。
同抗告趣意のうち、違憲をいう点について。
所論は、憲法三一条、三四条違反をいうが、実質は、単なる法令違反の主張を出ないものであって、刑訴法四三三条の抗告の適法な理由に当らない(なお、本件のように、勾留をする裁判所が、すでに被告事件の審理の際、被告事件に関する陳述を聞いている場合には、改めて刑訴法六一条のいわゆる勾留質問をしなければならないものではないと解するのが相当である。)
よって、同四三四条、四二六条一項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(横田正俊 五鬼上堅磐 柏原語六 田中二郎 下村三郎)
特別抗告の申立
申立人被告人阿藤周平
右弁護人佐々木哲蔵
同青木英五郎
同前堀政幸
申立の趣旨
右被告人に対する強盗殺人被告事件につき、昭和四十年八月三十日、広島高等裁判所第四部がなしたる勾留に対し前記弁護人等から異議の申立をなしたのに対し、広島高等裁判所第一部は、昭和四十年十月十三日、右異議の申立棄却の決定をなした。然しながら右棄却の決定は、
第一、憲法第三十一条第三十四条に違反するものであり、
第二、最高等裁判所の判例がない場合であって大阪高等裁判所の判例(昭和三九年(く)第三号同年二月一五日、第五刑事部決定、高等裁判所判例集第十七巻第一号一五二頁所掲)と相反する判断をしたものである。
よって、刑事訴訟法第四三三条により、特別抗告をなし、前記異議棄却の決定を取消並に前記勾留の取消を求める為本申立に及んだものである。
理由
第一、原決定が憲法第三十一条第三十四条に違反することについて、
一、広島高等裁判所第四部が、被告人阿藤周平に対し昭和四十年八月三十日有罪の判決をなした後、右被告人を新たに勾留したことが法的根拠のない違法のものである点に就ては、本申立書に添付の弁護人連名の昭和四十年九月十八日附異議の申立書並に同年九月二十五日附異議の申立補充書に記載の通りである。然るに右異議申立事件を担当した広島高等裁判所第一部は、昭和四十年十月十三日右異議申立を棄却する決定をした。然しながら右決定は刑事訴訟法並に刑事訴訟規則の解釈を誤まり、広島高等裁判所第四部の違法勾留を是認したものであって、結局憲法第三十一条「何人も法律の定むる手続によらなければ……自由を奪われない……」の規定並に憲法第三十四条に違反するものである。
二、身柄不拘束の被告人が有罪の実刑判決を受けた場合、その終局判決をした原裁判所がその被告人を新たに勾留することが許されないことに就ては多くの学説の認めるところであり、(反対の学説はむしろ見当らないといってもよいであろう)又、東京、大阪の裁判所等の多くの実務もそうなっているのである。これらの諸点は前記異議申立書に記載の通りであるので、之を引用する。そして本申立は主として異議申立を棄却した原決定の不当なる点に就てのべることにする。
三、原決定の不当性に就て
原決定の骨子は終結判決により裁判の告知があった時、被告事件の審判の範囲即ち犯罪事実の存否及び量刑の判断に関しては、事件は当該審級を離脱するが、その附随的手続に関する範囲内においては訴訟記録が原裁判所に存する限りなお、原裁判所に係属するものであるから、原裁判所は上訴申立後においても、記録が原裁判所にある限り刑事訴訟法第七九条の規定とは別個に刑事訴訟法第六十条によって、被告人を新たに勾留することが許されるというものである。
然しながら、右の如き見解は不当である。以下原決定の理由の順を追ってその点を明かにする。
その一
審級離脱の時期が判決宣告の時であるべきことは、後記異議申立書にのべた如くであり、原決定も基本的にはこの立場に立つものと思われる。思うにこの点で学説が区区に分れているのは、被告事件の原裁判所係属ということと原決定の所謂附随的手続(之には原決定判示の各法規に基く裁判を含む)をなす権限を原裁判所に附与するということとの法的性格を区別せず、却って彼此混同しておるものがあるからである。所謂附随的手続なるものは判決宣言の時に被告事件の係属から離脱した原裁判所をして特に一定の訴訟手続をなさしめるために、原裁判所にその権能を附与した特別の訴訟手続であると解するのが自然な素直な解釈であって、原決定の如く一つの被告事件につき、その内の審判の範囲内のものと、所謂附随的手続の範囲内のものとを区別し、前者は終局判決の時審級を離脱するが、後者は訴訟記録が原裁判所に存する限り審級を離脱しないという考え方は、それ自体不自然な技巧的なものであって不当である。
原決定のいう如く所謂附随的手続は原裁判所によってなされるから被告事件はその範囲内で未だ原裁判所を離脱しないというのは本末てんとうでもあり、又意味をなさないものである。むしろ問題は「審級離脱」ということの意味をここで明確にしておくことである。即ち申立人らのいう「審級離脱」とは原決定もいうところの被告事件の「犯罪事実の存否及び量刑の判断」をする権限、即ち公訴事実についての審判をする権限が原裁判所になくなることをいうのであり且つそれにつきる。そしてこの見解の限りでは原決定も異論を示していないと思うのである。ところが茲で問題としておるのは、そのように被告事件の審判をする権限のなくなった原裁判所は、所謂附随的手続の外は、刑事訴訟法第五十八条(勾引)同法第六十条(勾留)による裁判をする権限はないということである。何故なら原決定のいう所謂附随的手続には刑事訴訟法第五十八条の勾引及び第六十条の勾留を含まないことは明かであるからである。
そしてこのことは原決定が所謂附随的手続として掲げている各法定の規定刑事訴訟規則(以下単に「規則」と略記す)第五二条、第五二条の一三、刑事訴訟法(以下単に「法」と略記す)第九七条第一項、規則第九二条第一項、法第三七五条、第九七条第二項―が何れも法第五八条(勾引)、同第六〇条(勾留)の各規定とは法的性格を異にすることを理解すれば直ぐ分ることである。
而して本被告事件において原裁判所たる広島高等裁判所第四部が被告人阿藤周平を勾留したのは法第六〇条の規定によったものであることは之を否定することはできないのである。(法第三四三条の規定が適用される場合でないことはいうまでもない)。
そこで若し所謂附随的手続の中に法第六十条の規定による勾留をも含むと解するものがあるならば法令を曲解するも甚だしいといわねばならないのである。その四で後述するとおり原決定はこのような見解を排しながら結局このような見解をとるのと同じ結論に達しているのである。
叙上の法理を解明する上で、次のことを述べると理解に便であろう。それは本被告事件において仮に被告人らが上告申立をしないで原判決が確定した場合にはどうなるかの問題である。この場合には原判決宣告の時まで身体の拘束を受けていなかった被告人らに対しては、検察官によって法第四八五条ないし第四八九条の規定による収監状の発行ないし執行がなされるのであって、もはや原裁判所が関与する余地はないのである。身体の拘束をうけていない被告人らが死刑又は重い懲役刑の言渡をうけたからといって原裁判所があわてて附随的処分などに藉口して法令の定めていない法第五八条の勾引や法第六〇条の勾留をするなどとは法治国の裁判所としてあるべき態度ではなく、まさしく憲法第三十一条第三十四条に違反するものというべきである。この場合法令に不備があるというのなら法令の改正をすればよいのである。然し乍ら法第四八五条などが設けられているのは、むしろ身体不拘束のままで死刑や懲役刑を言渡された者でも判決確定まで勾留されずともよいとされる場合のあることを法が予定していることを証明するものである。のみならず更に実務上の扱い方としては終局判決前に勾留しておけばよいのであって、この点で実務上もたいして支障なく運営されているのである。
その二
原決定がその理由の「第二、刑訴法第九七条第一項、刑訴規則第九二条第一、二項について」と判示するところの内刑訴法第九七条第一項、刑訴規則第九二条第一、二項の各規定が「勾留状のない場合及び勾留状が現に効力を失っている場合に関するものでない」との判示は申立人らの主張と軌を一にするところである。
それならば原決定は何故率直に申立人らの異議申立の正当なことを認めて、被告人らに対する勾留を取消さなかったのか理解に苦しむところである。
もっとも決定がその「第二」の判示で強調しておるところは、所謂附随的手続の範囲内において本被告事件が原裁判所の審級から離脱していないこと、所謂附随手続をする原裁判所の権限は所謂附随手続に関する各規定によって初めて原裁判所に附与せられたものではないことに在るらしいのである。そしてこの判示が原決定の後の「第三」の項の判示の伏線ないし前提をなしているのである。
然し憲法第三十一条の規定は「何人も法律の定める手続によらなければ……自由を奪はれ……ない」と定めているのであって、判決宣告後の勾留に関する手続ないし処分をどうするかについても、明確な規定を以て「法律の定める手続」を設けなければならないところから、所謂附随的手続に関する各規定を設けておるのである。それ故所謂附随的手続をする権限を原裁判所がもつに至ったのは法律の規定をまって初めて定まったものである。それ故判決宣告後も原裁判所が所謂附随的処分をなす権限は、被告事件が原裁判所への係属から離脱したかしないかという法理によってもてあそばれる問題ではなく法律の規定によって定められたことである。原決定が判決宣告によって被告事件の審判―犯罪事実の存否及び刑の量定の判断―が終るとすれば、被告事件が原裁判所から離脱することを肯認しておきながら、なお所謂附随的手続をする権限が原裁判所に与えられているから、その範囲内で未だ原裁判所の係属から、離脱していないのだということは既述の通り本末顛倒の議論である。
判決宣告によって被告事件が原裁判所の係属から離脱するからこそ一時的―上訴申立期間中及び上訴申立後記録送付前―に限り所謂附随的手続ないし処分をなす必要を認め法律の規定を以て原裁判所にその権限を附与したのである。こんなに明明白白の法理が原決定によって曲解されているのは遺憾至極である。
而も所謂附随的手続に関する法律の規定としての勾留に関する規定は、有効に存続する勾留状に関する措置に止まるのであって、新たな勾留についてではないことは原決定も肯定する通りである。
その三
不拘束のまま有罪判決の言渡を受けた被告人阿藤周平に対し、その言渡をした広島高等裁判所が新に勾留状を発したのは、それが被告人の上告申立前であろうと、上告申立後であろうと違法である。何故なら同裁判所が有罪判決宣告後刑事訴訟法第六〇条の規定によって被告人を勾留する権限がないからである。
然るに原決定はその理由の「第三、上訴申立後において原審が新に勾留状を発することができるかについて」の判示において、「上訴の申立によって被告事件の審判の範囲内で事件は上訴審に移審しているけれども、これに伴う附随的手続の範囲内においては、なお原審裁判所に係属しているものと解する以上、刑訴法第六〇条に基き原裁判所は新な勾留も、同条第一項各号所定の理由並に勾留の必要性が認められる限りこれをなし得るものと解するのが相当である」となし、以て申立人の異議申立を斤けた。
然し原決定に所謂附随的手続を定めた規定には刑訴法第六〇条による勾留をなす権限を定めた何ものも見出すことができない。このことは原決定もこれを肯認している。原決定はこの無規定にも拘らず、なお原裁判所たる広島高裁第四部が被告人を刑訴法第六〇条による勾留する権限を有するとする根拠として所謂附随的手続の範囲内でなお本被告事件が原裁判所たる広島高等裁判所に係属するからであるとするのである。
ところで原決定のいう所謂附随的手続の範囲内で被告事件が原裁判所に係属するという見解が誤であることは先に述べた通りである。然しこの議論はある意味で用語上の議論にすぎない。
今仮に原決定のいう意味で「原裁判所に係属する」という用語を受入れるとしても、それは原決定自ら認める通り所謂附随的手続の範囲を出ないものである。それは精々附随的手続をすることに限り係属しておるのであって、その係属という意味は原裁判所は附随的手続に限り之を行うことができるというのと同義語であるに止まりそれ以上のものであり得ない。それ故「係属」という言葉を用いたとたんに原裁判所が法令の定めた附随的手続以上ないし以外の処分をなす権限を有するに至るものではない。憲法第三十一条が人権を保障するものであることを否定しない限りこの法理を否定することはできないはずである。
そもそも刑訴法第六〇条による勾留は、被告事件の審判を行う裁判所がその独自の判断に基いて公判審理の必要上同法所定の理由と勾留の必要性を肯定した時に之を行うために定められた規定である。このことは法文上この規定が置かれておる位置及び内容に鑑み異論のないところである。それ故この規定は有効な勾留の存在を前提とする刑訴法第九七条の規定とは全く法的性格を異にするものである。従ってこの刑訴法第六〇条の規定は所謂附随的手続の規定の何れにも包含せしめられなかったのは理の存するところである。されば附随的手続をする権能が原裁判所に与えられてあるからといって、判決宣告後審判に関与する権能のなくなっている原裁判所が刑訴法第六〇条による勾留の権限を行使できるものではない。
本被告事件においては、被告人を拘束するには、判決確定をまって検察官が収監状を発付、執行するか、上告申立後審判を行う上告審裁判所が適時に刑訴法第六〇条による勾留を行うか否かを決定すればよいのであり、またそうする外はない。若しそれでは不十分だというのであれば既述の通り法律を改正する外ないのである。かくて原決定は法律の定めた手続によらないで被告人の自由をうばう勾留を是認するものであって憲法第三十一条及び同第三十四条に違反する。
その四
また本被告事件につき広島高等裁判所が被告人阿藤周平を勾留するに当り、刑訴法第六十一条に定めるいわゆる勾留質問を行わないで勾留状を発したのは違法であるからその勾留は取消さるべきである。
然るに原決定は、被告人に対しては既に刑訴規則第一九六条の人定質問、刑訴法第二九一条第二項の冒頭手続を経ておるから刑訴法第六十一条の勾留質問の必要はないとして申立人の異議申立を斥けた。
然し乍ら刑訴法第六十一条に依る被告人に対する陳述聴取の手続は被告事件をつげ被告人に対して陳述の機会を与え、かつ裁判官に勾留の理由と必要の存否を判断する為の資料を得させるために行われるものであって、勾留という裁判をする為の事実取調べ的な意義を有するものである。従って公判裁判所の裁判とは全く性格を異にするものであって、公判裁判所の段階で被告人に事件についての意見、陳述の機会を与えているというだけのことでこの手続を省略することは許されないのである。特に本件は無罪の裁判により勾留状の効力を失ったままの被告人が無罪を主張しながら第二審に於て審理をうけていたものである。かかる立場の被告人を新たに勾留する場合は法第六十一条に依る勾留質問は絶対に必要なのであって、この手続をふまない勾留は違法のものといわねばならない。
原決定は有罪判決を宣告した原裁判所が新たな勾留状を発することができるという謬見に立つからこのような暴論に達したという外ない。原決定の判示は到底首肯できないところである。
四 以上要するに広島高等裁判所が昭和四〇年八月三〇日被告人阿藤周平に対し、法令に定めた権限なく、かつ被告人に対し被告事件の告知、被告事件に関する陳述聴取をしないで勾留を行ったのは法律の定めた手続によらず、また理由を直ちに告げないで被告人を拘禁しその自由を奪ったものであって、憲法第三一条、同三四条に違反するものである。
第二、原決定は最高裁判所の判例がない場合に高等裁判所の判例と相反する判断をしたものである。
即ち、大阪高等裁判所昭和三九年(く)第三号同年二月十五日第五刑事部決定によれば、「控訴申立後に於ては原裁判所はその判決において有罪と認めた事実に基いて被告人を新たに勾留することは許されない」と判断している。これは本件の原決定が、上訴申立後において原審が新たに勾留状を発することが許されるという判断を示しているのと相反するものである。
第三、以上の如く、原決定は憲法並に高等裁判所判例に反するものであるので、之を取消し、且つ本件勾留は取消すとの裁判あらんことを求むるものである。
昭和四十一年十月十七日
右弁護人佐々木哲蔵
同青木英五郎
同前堀政幸
最高裁判所御中